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【第2回】 尺・結核

「尺」
落合 そんな中で、近代建築の勉強をするわけですよね。
杉坂 そう。戦後の復興時代だから、大規模な建築の話が多くて、木造なんてのは最初にちょっとやるだけだったけどね。
落合 レイモンド事務所には、東大を卒業してすぐに入ったんですか?
杉坂 学生時代から、アルバイトで行ってたんだ。卒業するって時に、そのまま「うちに来い」って言われて入ったんだね。
落合 当時のレイモンド事務所って、どんな建築をやってたんですか?
杉坂 僕が入った頃は、ちょうど米軍の仕事がたくさんあった。座間のキャンプとかね。そういう施設の設計が多かったように覚えているね。
落合 やっぱり「軍」ですか(笑)。
杉坂 ははは、そうだね。米軍の仕事は設計図もインチで書かされるんだ。ところがレイモンドさんは、日本の「尺」ってのは建築の理想的な単位だって言ってたんだよね。
落合 そうなんですか。
杉坂 フィートはフット、つまり足が基準で30.48cm。でっかい足だよね(笑)。尺は肘の長さから生まれた単位といわれてるでしょ。一尺は30.3cm。長さはほぼ同じだし、両方とも身体を元にした単位で理にかなっている。でも、フィートは十二進法で建築には使いにくいんだよ。尺は十進法でとてもいい単位だと。
落合 なるほど。
杉坂 日本で尺貫法が禁止になってからも、レイモンドはスタッフに図面を尺寸で書かせてましたよ。
「結核」
落合 レイモンドさんはどこの国の方だったんですかね?
杉坂 チェコだね。チェコ出身のアメリカ人。
落合 活動は日本が中心だったんですよね。
杉坂 そうだね。40年以上も日本で仕事を続けたはずだな。
落合 日本に来たきっかけは何だったんでしょう?
杉坂 フランク・ロイド・ライト(1867年アメリカ生まれの建築家。1911年に設計工房『タリアセン』を設立し、帝国ホテルの設計依頼を受けた)が日本で帝国ホテルの設計のために来るときに一緒に来て、弟子って言うと怒るんだけど、一緒になってやったんだね。で、ライトは帰っちゃったんだけど、彼は日本に残って事務所作ったんだ。ところがそのうち戦争が始まって、強制送還で一度帰国せざるを得なかった。でも、戦後またすぐに日本に来て事務所を再開したんだ。
落合 へえ、一度事務所は途切れてるんですね。レイモンドってダイナミックに木を活用した建築が多いですよね。所長はやはりレイモンドの影響を受けたんですか?
杉坂 そうだね。
落合 最初から木の建築を志したわけじゃなかったんですね。
杉坂 自分の将来への考え方が、わりといい加減だったんですよ。大学のときに結核でね。「三十歳は無理だな。二十代で終わりだ」なんて友達の医者に言われたから、やりたいことやろうと。レイモンド事務所に一年くらいいときにも喀血がひどくなってね。
落合 そうなんですか。
杉坂 体調が悪いから仕事を休ませてくれって言ったんだ。すると、日本人の重役が「まだ若いんだから早く治してこい」って言ってくれるかと思ってたのに「結核は設計には向かないよ。製図なんて書いてたら良くならないから考えた方がいいよ」なんて言われてね。ああ、そうですかって、翌日辞めちゃった。
落合 (苦笑)
杉坂 で、辞めてはみても一人で食えないでしょ。だから自宅で友達の家の設計をしたりしてね。ただ、一人でやってるとなかなか現場には行けないから、東大の後輩の学生を手伝いに来させたりして。図面渡して現場行ってこいとかね。そんなことを少しずつやってったんだ。
