住宅建築ラボ

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【第3回】 最小限住宅・評価

「最小限住宅」

落合 友達関係だけで、仕事があったんですか?

杉坂 そうだね。当時は戦災からの復興で仕事も多かったんだろうね。

落合 「最小限住宅」を提言されていたのもその当時ですよね。

杉坂 その頃だなあ。当時はお金がないし、木がもったいないからってことで、国があまり大きな建築を勧めていなかった。住宅金融公庫が始まった時には、100平米だったかな、制限がありました。それ以上には貸さないんだ。

落合 そうですか。今は逆に土地が狭いと借りられないのに。

杉坂 あの頃は、そんなにでっかい家を建てられるような金のある人には貸さないよって、そういう主旨だったんだろうね。

落合 なるほど。最小限住宅が提言されたのも50年代の初頭からですよね、たしか。増沢洵さんとか清家清さん、池辺陽さんといった東大や東工大出身の若手建築家とともに、競い合うように新しい試みに挑戦していたんですよね。

杉坂 経済力、技術者、土地の広さ。何もかも制約に縛られた中の仕事だからね。なるべく単純にしよう。できるだけ細くしようという設計は、それなりの醍醐味があったよね。

落合 そうですよねえ。ただ、時代は変わりましたけど、今でも当然、住宅の設計にはいろんな制約があります。最小限住宅では、ビッグネームに育っていく過程にあった気鋭の若手建築家たちが、制約を逆手に取ったさまざまな「理念」を提唱していますよね。東孝光が「田舎の100坪よりも都市の6坪」を選んで住むことを決意して「垂直型のワンルーム」を提言したり、黒川紀章がカプセルを組み合わせた「取り替え可能」な住空間を提言したり。制約を乗り越える「理念」を生み出す力は、現代の建築家も見習うべきだと常々感じているんです。もちろん、現代の我々も、それなりに試行錯誤して頑張っているんですけどね(笑)。


「評価」

落合 ところで、杉坂建築事務所の特質には「和風」が原点にあるんですが、木造軸組の伝統的な日本建築に触発されたのは、レイモンド氏の影響が大きかったんですか?

杉坂 大学を出てレイモンドさんの事務所に入ったのが昭和28年だったかな。それまでは、レイモンドさんが伝統的な日本建築に深い造詣をもってらっしゃるなんて全然知らなかったんだ。日本語のボキャブラリーも少なかったしね。

落合 へえ、そうなんですか。

杉坂 スタッフが描いた設計図を見るでしょ。評価する言葉は「これはすばらしいものです」と「これはダメなものです」の二種類なんだ。本当はもっといろんな言葉で評価したかったのかも知れないんだけど、今にして思えば、建築設計への評価って「すばらしい」と「ダメ」で事足りる。どんなに素敵なアイデアがあっても、理論や思想が優れていても、できあがった建築物が使いづらければ意味がない、ダメなものだからね。

落合 シンプルだからこそ強烈な言葉です。

杉坂 今でもね、自分で描き上げた図面を見ていると、レイモンドさんの声が聞こえるような気がすることがあるんだよね。「これはダメなものです」って声が聞こえたら、もう基本から設計を考え直すしかない(笑)。

落合 思わず耳をふさぎたくなっちゃいますね(笑)。

杉坂 レイモンドさんの著書にね、いい言葉があるんだ。本になるくらいだから、こっちは豊富な言葉で語られててね。「(建築はただ)美を目的とすべきではなく、現実に向かって対処し、内的なものから外的なものに向かわなくてはならぬ。自分自身が、ただこのことに徹すれば、偉大なる時代の建築が常に果たしているように、美は報酬として与えられよう」(SD選書「私と日本建築」A・レーモンド著)って。この言葉は建築家として生きる僕の心の中に、ずっと刻みつけてきた。微力だけど、この意味を次の人たちに伝えていくのが、自分の役目だと思っていたんだよね。

 
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