住宅建築ラボ

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【第4回】 棟梁・焼け跡

「棟梁」

落合 それにしても、木造建築の設計図を書く建築家って、当時は少なかったですよね。

杉坂 一部には木造に取り組もうとしている人はいたけどね。木造住宅に関しては慣習通り大工の棟梁が取り仕切ることがほとんどだっただろうね。

落合 慣習にとらわれたシステムの中で、建築家ならではの意匠や工夫を込めていくのは容易じゃない気がします。

杉坂 そうだね、例えば「大壁」はレイモンドが最初にやり始めたんじゃないかな。ベニヤ板を使ってね、大壁を作るんだ。レイモンドの作品には、ラワンベニヤを使った建築が多いよね。手法としては、柱の芯でベニヤを継いでいくんだ。当時は糊なんて使わないから、一寸間隔で真鍮釘を打ち付けていく。釘を打った点の並びが狂っていると、レイモンドはすごく怒るんだ。洋服でいうと、ステッチってあるでしょ。ああいう感覚なんだね。

落合 なるほど、レイモンドさんのそういうやり方を見ていて、所長自身、施工まできちんと面倒を見る現在の杉坂建築事務所に通じる方法論を作り上げていったんですね。

杉坂 うーん、最初はそんなに力の入った考え方はしていなかったんだけどね。知人に頼まれて設計すると、自然と工事まで面倒見てくれよという話になっていく。棟梁に任せてしまうと、図面を読まずに自分で作ってしまうからね。

落合 そうすると、ディテールが違ったものになってしまいますよね。

杉坂 そうなんだ。いくら図面を書いても、図面通りにやってくれない。棟梁に負けるのは悔しいからね。当時、我が家が戦災で焼けてしまったから、550坪あった土地に最小限住宅や事務所を再建したんだ。その時、信頼の置ける棟梁に家に住み込んでもらって、加工場も焼け跡に造らせた。毎晩のように夜なべしながらいろんな話を棟梁から聞き出して、加工する現場もじっくり見て、こちらの知識にしまい込んだんだね。

落合 職人のこだわりや誇りを理解しようと。

杉坂 うん。伝統的な棟梁の技術や知識には、生半可な意匠では太刀打ちできない力強い部分もある。逆に、伝統を理解した上で組み上げた意匠なら、棟梁に対しても強く言えるでしょ。新しい意匠と、伝統的な知恵や技術がコラボレーションできれば、それにこしたことはないからね。


「焼け跡」

落合 今の話で気付いたんですが、杉坂建築事務所の歴史は、つまり戦後の焼け跡から始まっているんですね。

杉坂 ははは、そうだね。だって、最初に焼け跡に帰ってきたときなんて、屋敷はまったく焼け野原になっていて、門になってたからね。屋根の付いた門だったから、その屋根の下に近所から畳を分けてもらってきて、石畳の上に敷いてね。周りを囲ってそこに住んでた。今だから言えるけど、電気だって勝手に電柱登って引っ張ってきたりしてさ。

落合 あはは、それは盗電だ。まずいですね。

杉坂 そうそう、そんな家から東大に通っていたんだ。学校で、青森の神童っていうヤツと友達になってさ。そいつが「お前の家は広いから一緒に住ませてくれ」っていうんだ。

落合 たしかに550坪は広いですよ。

杉坂 ただ、広くても焼け野原だからさ。しばらく、門の下で一緒に住んでいたね。そいつは真面目なヤツで、ちゃんと学校行ってノートを取ってくるんだ。僕はアルバイトや遊びに忙しかったけど、試験前になると下宿代替わりにノートを借りて一夜漬け。ヤツより成績がよかったりしたんだよ。彼も、最近亡くなっちゃったけどね。

 
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